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クリニックについて

自己紹介

私は、大学卒業後の臨床研修を、兵庫県立柏原病院(現:兵庫県立丹波医療センター)で行いました。
当時は、舞鶴市民病院の崩壊など、地方の医療崩壊が起こり始め、兵庫県の山間部にある柏原病院もその渦中にあり、診療科は徐々に縮小し、病棟は2つが閉鎖されました。2年の研修期間の間に、指導医・上級医が徐々に病院を去り、病院で働く医師は半数近くまで減っていきました。そんな中でも、医療を必要としている人々は変わらずおられるわけで、地域の中核病院としての役割を果たすべく、住民の健康を守るため、救急対応・病棟管理を行いながら、地域医療の大切さ、医師としての基本を学ばせてもらいました。

3年目からは、脳外科医としての道を選び、湖東記念病院に勤務。ここでは、一般の脳外科診療・手術に加え、ガンマナイフ治療など、脳外科医としての基本をみっちりと教えていただきました。神の手を持つ脳外科医と呼ばれる福島孝徳先生の手術を間近に学び、術前・術後の管理も任せていただくなど、とても貴重な経験となりました。

その後、西宮協立脳神経外科病院で勤務。任せてもらう手術も広がり、執刀医としての症例経験数も増えていきました。
しかし、ここでしばらく経過した頃、転機が訪れます。私の祖母が入院し、主治医となることとなったのです。入院治療で改善し退院したものの、高齢者住宅に入居し療養生活となったため、知り合いの先生に訪問診療をお願いしました。その後、しばらくは安定状態でしたが、突然の急変で救急搬送。再度主治医となりましたが、その翌朝に亡くなり、自らの手で、祖母の死亡診断書を作成し、見送りました。

家族として、在宅療養とその後の死に関わったことがきっかけで、急性期の治療を行い一命は取り留めたものの、障害が残って寝たきりとなり、転院していった患者さんのその後の生活はどうなっているのだろうか?祖母のように、高齢で在宅療養となった人々の生活の支えはどうすればいいのか?など、急性期を乗り越えた、慢性期・終末期の医療が気になるようになり、そんな人々の生活を支える分野に転向したいと考えて、脳外科医としての道を終え、訪問診療の世界に転身することとなったのです。

その後は、いくつかの在宅支援診療所に勤務し、脳卒中後遺症はもちろん、認知症・老衰・末期ガンなど様々な疾患を持つ方が、日々の生活を送られる自宅や施設に訪問し医療的な支えを行ってきました。訪問診療は、病院という治療の場で行われる医療とは異なり、日常生活を送る場での医療です。病状のコントロールも大切ですが、安心した生活を送れる環境づくりが第一です。医療・介護などの他職種連携を行いながら、生活主体の医療を行ってきました。その住み慣れた場所で、たくさんの方の人生の最期も看取らせてもらいました。その経験を活かし、慢性期病院にも勤務し、急性期の治療を終え、自宅に帰れるような準備を整えるサポートも行わせていただいた時期もあります。

脳外科医として、在宅医として、さまざまな現場で、数多くの方々の命と向き合いながら、生きるとはなんなのか?医療は何のためにあるのか?を常に問い続けてきました。病と治すとか、たたかうだけではなく、その先の人生を「楽しく生きる」ために医療がある。そう考え、「楽しく生きるための診療所」をコンセプトに、皆さまの健康を支える一助になりたいと思い、2021年11月11日に、新規開業させていただくこととなりました。みなさまの健康を支えるかかりつけ医として、安心していただけるような医療を提供したいと考えています。よろしくお願いいたします。

哲平診療所 院長 上杉 哲平

経歴

  • 2005年 滋賀医科大学卒業
  • 2005年 兵庫県立柏原病院を中心とする県立病院群で初期臨床研修
  • 2007年 湖東記念病院 脳神経外科
  • 2010年 西宮協立脳神経外科病院 脳神経外科
  • 2013年 桂クリニック
  • 2014年 医療法人おひさま会
  • 2017年 甲聖会紀念病院
  • 2018年 みどりクリニック
  • 2021年11月11日  哲平診療所開設